約半年、随分と期間をあけてしまった。
この2021年上半期、とてもとてもショックなことがあり、
最低限のことはできても、それ以上のことをやる気力がどうも起きなかった。
でもそれがあって、より何かに残したり、毎日を噛みしめたりすることの大切さを深く深く、痛く痛く、感じたので、また少しずつ始めます。


7年前に作ったファブリックパネル

遡ること2014年の夏。
就職して小倉でひとり暮らしを始めた頃、同じく北九州に就職し、且つ平日休みの、とてもレアな大学の友人と、「一緒になんかしよう」と言ってファブリックパネルを作った。

その日は確か、お昼に北九州で有名なOCMに行ったんだっけな。(小倉懐かしいな〜)
https://kitaq.style/2017/10/06/ocm-osusume/

サンドイッチをたらふく食べた後、どこだったか忘れたけど、普段は行かない手芸屋さんに行って2人で生地選び。
莫大な量の生地たちから、宝探しのようにマイベストを選ぶ過程は、それはそれはワクワクした。店の感じは覚えていないけど、この時の感情は今でもよく覚えている。

悩みに悩んで、「なんかわかんないけどこれがいい!これだー!」と選んだのがこの2種類。

100円均一で中身となる材料を買って、いそいそと自宅で制作。
制作といっても、ホチキスでパチパチするだけなのでそれ自体はものの数分で完成。
ただ、広い生地の中でどの部分を切り取るかは結構悩んだ。
これまた「なんとなく」、下に文字が入っていたほうがバランスがいいような気がする、と端っこギリギリを切り取った。

そして出来上がったファブリックパネルは自分で選んだ満足感と共に、ひどく簡素でもの寂しい部屋と暮らしに小さな彩りを与えてくれた。

そして住む部屋を変えた7年後の今でも、
鍵を置くトレーの上であり、玄関入ってすぐ正面でもある壁に飾ってある。
家を出る前も、後も、必ず目にする頻見壁に。
(もう1つは、お手洗いに。ここも頻見壁である。)

写真で見返すと当時と比べ、冒頭の写真(現在)はだいぶ蛍光色部分が色褪せていて、年月の経過を感じる。

文字があるということ

ふと、家を掃除しながら、
ああ随分と飽きずに飾ってるな〜と改めてよくパネルを見た。
そしたら「FREEDOM GARDEN NAOMIITO」と書いてあることに気付いた。(制作当時はただ文字がそこにあるという認識でしかなかった・・)

すぐさま検索。
インスタの投稿が出てきた。
紛れもなくイトウナオミさん本人のよう。
https://www.instagram.com/p/z96RO9w6Ba/?utm_medium=copy_link

すんごい数の生地の中で、「なんかこれがいい」と選んだものは、イトウナオミさんという日本のテキスタイル作家さんが、植物をモチーフにいっきに書き上げたものだったのか〜〜と、7年というすんごいタイムラグを経て知り、なんだか嬉しかった。

全体のテキスタイルはこちら

このことを知れたのも、生地の下の方に文字があったから。

インターネットってそうだこういうことだったわ〜検索エンジンって有り難い〜〜と、当たり前となっていることだけど、改めて実感。

文字がなかったら・・?と思い、試しにGoogle lensを生地に向けてみたら、
気持ちはわかるけどそれじゃないよ〜な結果を示された。

文字に起こす(「これをこう呼ぶことにします!」と名前をつける)ということは、特定できるようにすることなのか〜と、文字や言葉の偉大さも知った。

あさっての方向からのレコメンド


話変わって今年のこと。
少し前に古着屋でロング丈ワンピースを購入した。
これまた植物柄で、程よい透け感もあって、パッと元気が出るような色合いなのに、子供すぎず大人すぎずで、、、
とにかくすごくすごーく気に入っている。

でもこれは、店員さんがおすすめしてくれなければ、存在すら知らないままだったもの。
来店した時、割とモノトーンな格好していたし、それまでみていた商品はどれも単色だったり、割と落ち着いたデザインだったりしたのに、
店員さんはそれらのカテゴリーにはないこのオレンジワンピを
「オネーさん、柄モノもいけます?」と、奥から引っ張り出しておすすめしてくれた。

それまでいくつか試着したけど、見た目は良さそうなのに、着るとサイズ感がよくなかったり、シルエットがしっくりこなかったりで、「なんかちがう・・・」となっていたところに、急にこのワンピース。
着た瞬間、「あーーーコレですね、コレでしたわ!!」と店員さんと大盛り上がり。
「こういうのも好きなんです。なんでわかったんですか???」って言ってしまった。

きっと私へのヒアリングの内容だったり、会話で得た好みのニュアンス、
見た目でとらえたサイズ感、服屋店員ならではの圧倒的なコーディネートの引き出し、店内在庫に対する把握だとか…
きっとあらゆる複雑でリアルな情報を、店員さんの脳内で照合して、
あさっての方向からのレコメンドしてくれたんだと思う。
(もしかしたら見当違いだった可能性も大いにある提案でもあったのかなと・・)

ネットショッピングだと、自分から能動的に検索した履歴や、
登録されたデモグラフィックを元に、機械的にカテゴリーが振り分けられてしまう。
この古着屋での体験は、ネット上の「あなたへのおすすめ」ではありえない、ヒトじゃないと出てこないレコメンドだ…と、
リアル店舗で買い物をする醍醐味を味わって、しみじみと幸せが溢れた。
(実際に「あ〜醍醐味あじわった〜!」と言って店を後にした)

パッと言葉にできなかったり、表面化されていない情報まで汲み取って、「よくわからない部分」で共感しあえるこの感覚が、なんとも久しぶりで、とんでもない多幸感を得た。

文字に起こせない「なにか」がある

ほぼ日手帳より

上の2つのことを受けて、
文字の偉大さを感じると共に、絶対的に文字に起こせない(もしくはまだ言葉にされていない)なにかってあるよなぁ〜と、しみじみ思った。

あえて図に表すと、言葉にできることとできないことの相関関係ってこんな感じなんじゃないかな…

内側の輪がいわゆる「語彙力」ってやつで、輪が大きければ大きいほど多彩な言葉で解像度高く表現できる人、つまり語彙力がある人ってことで。

でも多分、どれだけ輪が大きい人でも、外側の輪と重なることは100%ないんだろうと思う。
つまり、絶対に言葉では表せられない「なにか」が存在すると信じている。

できるかぎり三次元の情報を

今の生活、どうも二次元の情報が過多だ。ほんとうに多過ぎる。
平面で受ける情報で判断することが、圧倒的に増えた。

モノを選ぶ時について、
機能とかそういった数値化できるような項目は別として、
デザイン・好みで選ぶものに関しては、
やっぱり二次元や他人の評価だけでは判断できないよ…と思う。
私は他人の影響を受けやすいので、評価を見てしまうとそっち寄ってしまうし…。

手で触ってみたり、音を聞いてみたり、動かしてみたり、着てみたり、座ってみたりして、どう感じるか、身体がどう反応するか、心地がいいのかそうではないのか、みたいな身体性で選びたいよな〜と改めて。

二次元より三次元
二次情報より一次情報
視覚や聴覚だけじゃなく五感 で。

直近の課題は内の輪拡大化

といいつつ、リアルでの知り合いだと周知の事実だろうと思うが、私はとんでもなく内側の輪が小さい。
おそらく外の輪は、それこそ過多で、むしろそこまで感じなくていいのにってくらい、センシティブに受け取ってしまうので、狭くはない方だと思うのですが、それらを言葉で表現するのが本当に苦手。
(なのでその練習でこのブログを始めたのですが・・・)

こないだ久しぶりにあった先輩にも「おーーい!語彙力ーー!」と言われてしまった(笑)
感じていることはもっとあるはずなのに、気づいたら「ヤバい」「スゴイ」「イイ」「エモい」とかでしか言えていないので、、、もうちょっと「なにか」を表現できる引き出しを増やしていきたいです。

ケンチャナヨ退化してんじゃね

東京事変「銀河民」